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《三國演義》の原文からこのキーで検索した結果は以下の通りです。 結果には原文各回の該当箇所の行番号と内容が表示されています。なお、該当箇所がなかった回は省略してあります。

【第七回】

   4  逢紀說紹曰、『大丈夫縱橫天下、何待人送糧爲食!冀州乃錢糧廣盛之地、
  18  死關純。紹入冀州、以馥爲奮威將軍、以田豐・沮授・許攸・逢紀分掌州

【第二十二回】

  31  審配・逢紀爲統軍、田豐・荀諶・許攸爲謀士、顏良・文醜爲將軍、起馬
 107  許攸・郭圖・審配・逢紀皆智謀之士、田豐・沮授皆忠臣也。顏良・文醜
 110  逢紀果而無用、此數人者勢不相容、必生內變。顏良・文醜持匹夫之勇、

【第三十回】

   3  天時、不可妄興大兵。恐有不利。』逢紀譖曰、『主公興仁義之師、田豐

【第三十一回】

   7  之耶?』次日、上馬正行間、逢紀引軍來接。紹對逢紀曰、『吾不聽田豐
   8  之言、致有此敗。吾今歸去、羞見此人。』逢紀因譖曰、『豐在獄中聞主
  24  自官渡兵敗之後、劉氏勸立尚爲後嗣、紹乃與審配・逢紀・辛評・郭圖四
  73  人馬、以備調用。袁紹引袁尚等入冀州養病、令尚與審配・逢紀暫掌軍事。

【第三十二回】

   5  慌救入臥內、病勢漸危。劉夫人急請審配・逢紀直至袁紹榻前、商議後事。
  14  如此。袁尚恐寵妾家屬爲害、幷收而殺之。審配・逢紀立袁尚爲大司馬將
  17  不在冀州、審配・逢紀必立顯甫爲主矣。當速行。』辛評曰、『審・逢二
  25  人拈鬮、拈着者便去。逢紀拈着、尚卽命逢紀齎印綬、同郭圖赴袁譚軍中。
  26  紀隨圖至譚軍。見譚無病、心中不安、獻上印綬。譚大怒、欲斬逢紀  27  郭圖密諫曰、『今曹軍壓境、且只款留逢紀在此、以安尚心。待破曹之後、
  33  殺、大怒、乃喚逢紀責駡。紀曰、『容某作書致主公、求其親自來救。』
  37  逢紀、議欲降曹。

ヒット: 20 件

2003年11月からの
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